「敵」

2025年、筒井康隆原作、吉田大八脚本+監督作品

予告編の雰囲気に惹かれて見た作品だが、予想通りに面白い映画だった。

筒井康隆原作とはいっても、往年のドタバタや奇想天外さは希薄で、表面的には穏やかなように見えても、いろいろな雑念は若い頃同様にあるという老齢の日々を淡々と描いた白黒映画になっている。

同じように老年の様子を描いた川端康成原作、新藤兼人脚色、吉村公三郎監督「眠れる美女」(1968)などを連想させる部分もある。

監督にも馴染みはなかったが、調べてみると「桐島、部活やめるってよ」(2012)の監督だったことがわかったが、その他の作品を見てもやはり馴染みはなく、もともと単館系作家の方なのだろう。

前半は、大学教授を引退し、妻に先立たれた孤独な老人男性の日常が描かれているが、毎日の食事を自炊している様などが「料理映画」のように興味深い。

主役を演じた長塚京三さんの端正な容貌やスマートな体型も相まって、老いた醜い老人の無様な日常という老醜感はしない。

しかし、隣人は典型的な見た目で口うるさい年配者で、時々家の前に放置してある犬の糞に憤慨しており、たまたま子犬を散歩させていた中年婦人に注意したりしている。

そんなインテリっぽさを残す一軒家住まいの元教授の家に、かつての教え子の女性が訪ねてくるようになり、友人と時々利用するバーにも女子大生のバイトが参加するようになる。

老教授の心も、若い女性と接することで、若干波立つようになる。

そんな中、日頃原稿を書いているパソコン画面にメールが届くようになるが、スパムっぽいタイトルなので開かずに消すのが日常だった。

そんな凡々たる老人の日常ではあったが、少しずつ幻想だか現実だがわからないような不思議なことが起こり始める。

後半は、老人が見る夢のようにも思えるが、徐々にその夢と現実が曖昧になっていく。

これを「認知症」と解釈することも可能だが、「夢」や「認知症」と判断すると、後半の不気味さは伝わってこない気がする。

もちろん「現実」ではないのだが、老人の頭の中では「現実」なのだろう。

そう考えることで、晩年の人間が見る独自の世界観を垣間見るようで興味深い。

決して派手さはないが、静かな傑作ではないかという気がする。


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